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東京地方裁判所 昭和57年(行ウ)61号 判決 1987年3月05日

原告

ニチバン株式会社

右代表者代表取締役

大塚光一

右訴訟代理人弁護士

高井伸夫

西本恭彦

杉山忠三

高島良一

被告

中央労働委員会

右代表者会長

石川吉右衞門

右指定代理人

萩澤清彦

高田正昭

武山哲

福田俊男

松田尚子

被告補助参加人

合成化学産業労働組合連合ニチバン労働組合

右代表者中央執行委員長

佐藤功一

合成化学産業労働組合連合ニチバン労働組合藤井寺支部

右代表者支部長

宮下信幸

右両名訴訟代理人弁護士

加藤康夫

川島仟太郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告を再審査申立人とし、補助参加人合成化学産業労働組合連合ニチバン労働組合(以下「組合」という。)並びに同組合藤井寺支部(以下「藤井寺支部」という。)を再審査被申立人としてなした中労委昭和五四年(不再)第一七号事件及び第四三号事件に対してなした命令を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告(以下「会社」ともいう。)は、肩書地に本店を置き、医薬品、接着テープ等の製造、販売等を目的として設立され、従業員約八三〇名の株式会社である。会社は、工場として埼玉県入間郡に埼玉工場、愛知県安城市に安城工場、大阪府藤井寺市に大阪工場を有するほか、研究機関として研究技術部、販売組織として札幌、東京、大阪、名古屋等全国に二〇の営業所を有している。

(二) 補助参加人組合は、会社の従業員のうち、原則として係長以上を除く従業員資格者約二二〇名をもって組織する労働組合である。組合は右大阪工場の従業員によって組織される補助参加人藤井寺支部のほか、入間支部(埼玉工場内)、九段支部(本社・東京支店内)、道修町支部(大阪支店内)、安城支部(安城工場内)、名古屋支部(名古屋支店内)を有している。

2  命令の存在

(一) 組合及び藤井寺支部は、会社が大阪工場において署名活動を行ったことは不当労働行為に当たるとして、会社を被申立人として、昭和五二年九月二九日、大阪府地方労働委員会に対し救済申立てをし(大阪地労委昭和五二年(不)第八三号事件)、同地労委は昭和五四年二月二六日付で別紙一のとおりの命令(以下「初審命令(一)」という。)を発した。また、組合は、安城工場において、会社が同様の行為をしたことをもって、会社を被申立人として昭和五二年九月二七日付で愛知県地方労働委員会に対し救済申立てをし(愛知地労委昭和五二年(不)第四号事件)、同地労委は昭和五四年六月二八日付で別紙二のとおりの命令(以下「初審命令(二)」という。)を発した。

(二) 会社は被告に対し、右初審命令(一)、(二)のそれぞれに関し再審査を申し立てたところ(中労委昭和五四年(不再)第一七号事件及び第四三号事件)、被告は両事件を併合したうえ、各初審命令を一部変更して別紙三のとおりの命令(以下「本件命令」という。)を昭和五七年三月一七日付で発した。

本件命令は昭和五七年四月二四日会社に送達された。

3  本件命令は、以下に述べるとおり、会社の行った誓約書名簿への署名を求める行為(以下、「本件命令において不当労働行為と認定された「会社が昭和五二年九月下旬から同年一〇月上旬にかけて組合の組合員に対し、企業再建に係る誓約署名簿への署名を求めた行為」を「本件署名活動」という。)はおよそ不当労働行為を構成しないにもかかわらず、これを不当労働行為に当たると認定、判断した違法がある。

(一) 会社の主張(本件署名活動実施に至る経緯とその目的)

(1)<1> 会社は、他の多くの企業が躍進、発展を遂げた高度経済成長期においてすら経営不振を重ね続け、昭和四九年における狂乱物価の一時期を除いては、各決算期毎に赤字を計上し続けるという状態であった。

そのため、会社は、昭和五〇年五月には、当時約一七〇〇名在籍した従業員のうち約五五〇名に及ぶ従業員を希望退職の形で退職せしめた。また、昭和五一年には、三工場のうちの大阪工場を換金処分のため売却せんとする事態にまで陥ったのである。そして、この売却交渉の過程において縁を得た大鵬薬品工業株式会社(以下「大鵬薬品」という。)が昭和五一年五月に会社に資本参加し、業務提携を行って経営を支えることになり、大阪工場は売却を免れたのであった。その後、会社は、大鵬薬品の代表取締役である小林幸雄を最高顧問として迎えるとともに、心機一転を図るべく、昭和五一年一〇月「新経営改善計画」を策定した。この計画は、従来の縮小均衡路線では企業の活力を充実させることはできないとして、これを改め、拡大均衡路線を採ることとし、これを日常の営業活動に貫徹することによって会社を黒字化し、従業員の士気を高めて会社の存続を保障しようとするものであった。この計画の基本路線はその後も踏襲されている。

会社は、新経営改善計画に基づいて経営の建て直しを図ったが、その直後の昭和五一年一二月再建協力と年末一時金の問題をめぐって、組合が越年闘争の挙に出たことから、右計画はそのスタート時点において重大な蹉跌に直面することになった。右越年闘争は翌昭和五二年一月一二日まで継続されたが、その間組合内部において、闘争中止の署名活動を行う者が出るなどしたことから、組合執行部は闘争中止を考えるに至った。そして、同年一月二九日、組合と会社とは、組合は会社の再建に協力することを含む再建協定を締結した。

こうして、四〇日にもわたる闘争は終ったが、会社は、その間の減収を回復するため、土曜操業等の諸施策を講じたため、昭和五二年上半期(昭和五一年一二月から同五二年五月まで)の経常収支としてはとんとんの成績で業績を取り繕うことができた。しかし、昭和五二年六月、七月になると、一挙に上半期の実績を作る上での無理や推販能力の根本的欠如などの悪材料が売上実績の著しい低迷という形で露呈し、加えて我が国経済の一般的景気後退によって、会社の売上高は、前年六月が一一億九〇〇〇万円、七月が一三億四〇〇〇万円であったのに比し、昭和五二年六月は八億五〇〇〇万円、七月は八億七七〇〇万円という惨憺たるものとなってしまった。このような昭和五二年六月、七月の極度の売上げ不振等による会社資金繰りへの影響は、同年一一月に資金ショートという形であらわれてくることになるのである。会社の場合その売上げ代金の回収は平均して、三・五か月先となり、他方会社の支払手形のサイトは五、六か月先となっている。とすると、この六、七月の売上げ代金の回収時期は昭和五二年一〇、一一月になることからその収入は極端に減少するのに対し、前年四、五月の生産に費消した原材料購入代金約一〇億円の支払時期もその時期にかかってくることから(この四月五月の生産はスト減産分回復のため、生産を高めた時期である。)、収入と支出のアンバランスを生じ、約三億円の資金ショートの恐れとなったのである。

会社は、目前の資金ショートを回避するため、不動産、有価証券の売却、換金等の収入増加策、八月からの工場操業の短縮、設備投資の凍結等の支出制限策を実施した。しかし、資金ショート回避策のポイントは、四〇億円もの在庫製品をいかにして早期に売りさばくかであった。それは、在庫処分による場合には、翌月もしくは翌々月には回収した手形を換金できるから、最も即効性があったからである。

ここにおいて、会社は販売力増強のため労働時間一時間延長の施策を採るに至ったのである。すなわち、本施策によって製造部門・間接部門に従事する従業員を削減することにより、そこで生み出される余剰人員を販売部門へ配置転換する一方、直接的に販売部門に従事する従業員の働く時間を延長することによって、従業員を増員したと同じ効果を期し、販売力の増強と製造コストの低減を図ることで、会社の最大の弱点である市場への流通力を強化せしめ、その効果として営業収入の増大を図ることを企図したのである。なお、会社の労働時間は製造業一般に比しても極めて短いものであった。安城工場の昭和五一年度の労働時間数を例にとると、一週当たりの実働労働時間は、常日勤職場で三五時間五六分、年間一八六九時間、交替勤務職場で一週当たりの実働労働時間が三一時間三二分、年間では一六四〇時間一五分であって、製造業一般の平均が年間二一二三時間であるのに比し、会社の労働時間は極めて短いものといえるのである。

<2> 会社は、昭和五二年八月一六日、組合に対し、申入書を手交して労働時間延長の申入れを行うとともに、その協議のため早期の中央労働協議会(以下「中央労協」という。)の開催を要請した。さらに、会社は、組合に対し同月一八日、同月予定されている組合の中央定期大会の場で検討して貰いたい旨申し出たが、拒否された。その後同月二三日、二九日、同月九月八日の三回にわたり、中央労協が開催され、右申入れに係わる協議が進められた。この間会社は、労働時間一時間延長の必要性、緊急性及び合理性を説明したが、組合は労働時間一時間延長には反対である、しかし三〇分間程度の延長であれば考えてもよい旨の意向表明を行うにとどまり、結局話合いは決裂状態に陥った。会社としては、三〇分延長では倒産を回避し、再建を確実にする保障を見出すことができなかったのである。

会社は組合の理解・協力は得られなかったが、企業の存続と従業員の雇用を確保するため、業務命令をもって昭和五二年九月一三日から労働時間一時間延長を実施した。これに対し、組合は、裁判闘争を行うこととし、昭和五二年九月二三日当庁へ勤務時間確認のための仮処分申請をした。

<3> このように、組合の再建協力姿勢には昭和五二年一月二九日の協定締結後数か月を経ずして早くも陰りがみられるようになり、ついには会社・全従業員による一致結束された再建意思の崩壊・空洞化の危険が出てきてしまったのである。会社としては、既に資産、資金もなく、また、外部の支援も当てにできないという事情にあり、しかも有力な新製品も持ち得ていない事態の中で、持てる製品を全従業員で売りまくり、コストを下げて利益を生み出す以外に手立てはない、それを実現するのは従業員である。とすれば会社生き残りの方策は、従業員の真摯で強固な再建意思の結集以外にないとの認識に至ったのである。そこで会社は、組合の裁判闘争は組合の立場として止むを得ないものがあるとしても、そのために再建意思が脆弱化したり動揺したりすることは是非とも防がねばならず、そのために再建誓約署名を求めることに決定したのである。

(2) 署名簿の文言は、会社と従業員との間で有効である労働契約、就業規則、再建協定をもとに作成したものであって、その文言自体に何ら不当労働行為に該当するものも含んでいない。

なお、当初署名簿文言中には「裁判には参加しない」旨の文言が含まれていたが、裁判闘争に対する干渉行為は慎しむべきであると判断し、削除された。

(3) 署名の実施方法について

会社の行った再建署名活動には、威嚇強制がなかったことはいうに及ばず、各従業員に会社の倒産に瀕した危機的な状況を説明し、その自由意思の下に、従業員として当然遵守すべき労働契約、就業規則、再建協定に沿った誓約書署名を求めただけであって、何ら従業員の心理を拘束する方法ではなかった。

(4) 以上のとおり、本件署名活動は、危急存亡の経営状態にあった会社が全従業員の会社再建意思を確認、結集し、これをもって経営を建て直さんとして行った純粋な行為であって、組合の運営に介入する等の不当労働行為意思は全く有していなかった。

(二) 本件命令中の「理由」、「第一当委員会の認定した事実」に対する認否

(1) 第一、1の事実は認める。

(2)<1> 同2の(1)及び(2)の事実は認める。

東京工場移転は会社が工場の生産を効率化するために、巨額の資本を投下して実施しようとしたものであるが、組合はこれを契機として闘争を組み、昭和四六年一月二一日付協定(事前協議協定)にかこつけて、会社の施策の円滑な実施に障害をもたらした。

<2> 同2の(3)及び(4)の事実は認める。

会社は累積する損失を解消して企業の存続を維持するため、変動する経済界一般並びに業界の情勢に耐え得るような経営体制を整備し、また当面した危機を乗り越えるための緊急体策を講ずる必要があり、その実施は従業員の協力にまたなければならなかった。こうした中で会社は、大鵬薬品の資本参加を得て会社の再建に尽力してもらうのであるから、このような支援を受ける会社内部における会社再建のための体制、殊に労使の協力体制が整う必要があるのに、組合は当面する危機を顧みず、四〇日にもわたる闘争を展開したのである。こうした中で組合員の中から闘争中止の署名活動を行う者が出、漸く賞与についても妥結し、再建協定を締結するに至ったのである。

<3> 同2の(5)及び(6)の事実は認める。

なお、組合、再建協定は組織維持のため緊急避難として締結した屈辱的な協定と考えているのであって、会社再建についての誠意に欠けていた。

<4> 同2の(7)の事実のうち、会社が組合に提案した労働時間一時間延長の案に「九月から一一月まで」という期限が付されていたことは否認し、その余の事実は認める。

右提案には、特に期限の定めを付していない。

<5> 同2の(8)の事実は認め、(9)の事実は知らない。

<6> 同2の(10)ないし(13)の事実は認める。

四名の専務取締役は、会社再建のためには、従業員の意思の結集が必要であると考え、そのために署名活動を行おうとしたものである。

(3) 同3、4の事実のうち、会社が署名活動を中止したのは大阪府地方労働委員会の「署名活動の凍結」要請があったためであることは否認し、その余の事実は認める。

4  よって、原告は、本件命令の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の事実はいずれも認め同3は争う。

2  本件命令は、適法な行政処分であり、処分理由は別紙三の命令書理由記載のとおりであって、被告の認定した事実及び判断に誤りはない。

三  補助参加人らの主張

本件署名活動は、会社が組合の体質を会社施策を素直に受け入れてくれる体質に変え、焦眉の急である労働時間一時間延長問題については、裁判闘争を中止させることを企図してなされた不当労働行為であり、本件命令に判断の誤りはない。

第三証拠

本件記録中の書証及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。

二  原告は、会社が誓約書署名活動を行ったことは不当労働行為意思に基づくものではなく、何ら不当労働行為を構成するものではない旨主張し、本件命令の認定及び判断を争うのでこの点について判断するに、当事者間に争いのない事実、(証拠略)に弁論の全趣旨を総合すると以下の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  当事者等

本件再審査結審時の会社、組合、藤井寺支部の状況は、本件命令「理由」第一、1記載のとおりである。

2  本件署名活動が行われるまでの会社の経営状態及び労使関係

(一)  会社は、昭和四八年のオイルショック以降の全般的な不況の中で、累積赤字に苦しみ、経営が悪化していた。会社は、その再建を図るため、昭和五〇年二月には約五〇〇名の希望退職者の募集等を中心とする経営合理化を実施し、また、同年九月には、大阪工場等の売却換金を内容とする経営改善計画を策定するなどいわゆる縮小均衡策を経営の基本方針とせざるを得なくなっていた。こうした中で、会社は、大阪工場売却交渉の過程で知った大鵬薬品から資本参加を受けて融資を得ることとし、大阪工場の売却を中止した。こうして昭和五一年五月大鵬薬品は会社に資本参加した。会社は、大鵬薬品の資本参加、大阪工場の売却中止に伴い、今後の再建策の見直しを行い、同年一〇月二三日新経営改善計画を策定し、組合に提示した。同計画は、その経営の基本を従来の縮小均衡策からより積極的な売上拡大を基調とする拡大均衡策へ変更するとともに労務関係については、雇用の保障、賃上げ率は物価上昇見合い分、同年末の一時金は二か月分とするものであった。

ところで、会社の従業員の労働条件については、組合との昭和四七年四月一七日付協定に基づき、常日勤者の場合、週労働時間三八時間三〇分(一日七時間労働)、土曜日については本社、店関係四週に一回土曜日休日、工場関係隔週土曜日休日、交替制勤務者の場合、週労働時間三三時間四五分、完全週休二日制(土、日)となっていた。また、会社は、組合との間に、昭和四九年七月二六日本件命令「理由」第一、2(2)のとおりの事前協議協定を締結していたが、この協定について右昭和五一年一〇月二三日組合に対しその効力を凍結したい旨申し出た。

こうした中で、組合は、従前から、会社の経営悪化にもかかわらずいわゆるコスト論理を克服した有利な労働条件の獲得を目指しており、また会社の同年末一時金提案が同年夏季一時金を下回ることもあって、右計画には反対の意向を表明し、一時金闘争も含め昭和五一年一一月下旬からストライキを含む反対闘争を展開し、この闘争は翌年まで続いた。この間組合内部では、一部組合員からスト中止の要請書が出されたりしたため、組合は組織の崩壊を防ぐため、翌五二年一月一三日ストを中止した。そして組合は、闘争中止、再建協定締結について全員投票を行ったところ、その支持率は五六%であった。そこで会社と組合とは、同年一月二九日、スト減産分の回復のための土曜日操業を行うことも含め、本件命令「理由」第一、2(5)のとおりの再建協定が締結され、同年二月一〇日には、同年五月末日を期限とする土曜日操業に関する協定が成立した。

(二)  会社は、スト解除後、スト減産分の回復、ストによる減収回復のため、土曜日操業、販売強化のための配置転換等の措置を組合との協議を経て実施した。その結果、会社の昭和五二年上期(昭和五一年一二月から同五二年五月)には経常利益七〇〇万円を計上するに至った。

なお、土曜日操業問題について、会社は六月以降も継続して実施したい旨組合に申し入れたが、組合は、土曜日操業はスト減産分の回復の問題であって、今後もこれを継続することは既得権を失うことにもなるとして、右申入れを拒否したため、従前の勤務形態に戻った。

(三)  ところが、昭和五二年六、七月の会社の売上げ収入は、同年五月までの販売の無理と経済の一般的不況の影響を受けて減少し、一〇ないし一四億円程度の売上げ収入を予定していたところが六月には八億五〇〇〇万円、七月には八億七七〇〇万円の売上げ実績にすぎなかった。しかも、その上会社の在庫は、適正在庫である二〇億円相当をこえる四〇億円相当にも達していたのである。ところで、会社の売上げによる収入は、商品売却後一か月半くらい後に、二ないし三か月サイトの手形を取得するため、同年一〇月、一一月の収入が減少することになるのに対し、原材料等購入に関する支出は、会社振出しの手形のサイトが五ないし六か月であることから、スト減産分回復のため操業した同年五月ころの支払いが同年一一月になされることになり、会社は、既に同年一一月には三億円の資金が不足することが明らかとなった。また、その上、同年末に支払うべき従業員の賞与等のため約三億円を必要とした。ところが会社には、右在庫の外、容易に処分可能な財産はなく、新たな融資先を期待できる状態でもなかった。

そこで会社は、同年八月八日役員会を開き、会社再建のためには、形振り構わず再建のために働く必要があること、そのため一日の労働時間を一時間延長することにした。それは、労働時間を一時間延長することによって、営業部門での営業活動の時間を延長するといった直接的な効果のほか、生産面ではコストを低減させるとともに、工場部門や間接部門の余剰人員を販売に向けて営業活動を行うことによって、販売にも効果を及ぼそうというねらいをもったものであった。

会社はこの間の昭和五二年七月二二日に、前記事前協議協定(同月二五日期間満了)が会社経営諸施策の遂行にとって、手かせ足かせになるとして同協定の再締結の拒否を組合に通知した。

そこで会社は、右役員会決定に従い、昭和五二年八月一六日組合に対し、緊急な施策として、労働時間を一日一時間延長すること、昭和五二年九月から一一月までの間の工場の操業態様の変更その他の申入れをし、協力を要請した。また同月一八日には、再度組合に対し、会社は資金ショート目前であって、会社員一丸となった固い決意が必要であり、また、時機を失することのない経営施策を行う必要があること、そして会社再建に支障となる労働協約及び慣行は解約、解消し、新しい労働協約、慣行の整備、確立に取り組んでいくこと、同年八月一六日付の申入れ事項については同年九月一日から実施していく予定であって、同年八月末日までに実施することについての組合の同意が得たい、もし同意が得られなくとも、会社は会社再建のため会社の責任でこれを実施する旨申し入れた。こうした申入れを受けて組合は会社と同年八月二三日、二九日に、中央労協を開き、これらの問題について討議したが、労働時間延長問題については継続協議とすることとし、会社は同年九月一日に予定していた労働時間の延長の実施を延期した。

その後組合内部で労働時間一時間延長の問題が話し合われ、同年八月三一日の中央委員会(大会に次ぐ決議機関)において、労働時間延長には原則として反対である、しかし情勢に鑑み、一定の譲歩の余地は認め、その譲歩の程度は中央執行委員会に委せる、会社が労働時間延長を強行実施した場合には裁判闘争を含めて可能な手段で闘っていくことを決定した。なお、当時、会社は、資金ショートの危機感を有していたのに対し、組合執行部は、経営は赤字であり低迷しているものの、いまだ倒産の危機にあるものとは判断せず、組合員には資金ショートは会社が危機感をあおるためにしているのであって業績は回復に向かいつつあると説明していた。

会社と組合は同年九月八日中央労協を開催した。その席上組合から労働時間延長は原則として反対であるとの態度表明がなされたが、その後、三〇分程度の延長であれば協力する旨の申入れがなされた。会社はこれに対し、会社再建には一時間延長が必要であるとしてこれを拒否するとともに、同月一三日から業務命令をもって労働時間一時間延長を実施する旨通告した。

組合は、同月九日労働時間延長問題について、被告にあっせん申請を行ったが、会社はあっせんに応じなかった。同月一二日会社は朝礼等を通じて翌一三日から労働時間一時間延長を実施する旨全従業員に発表した。組合執行部は、会社のこのような強硬姿勢に対する抵抗戦術を検討した結果、職場での直接行動は避け、裁判によって争う方針を決定し、一二日から一四日にかけて裁判闘争実施についての全組合員投票を行い、同月一六日開票の結果六六・七パーセントの支持を得たと発表し、裁判闘争実施の方針を明らかにするとともに、具体的準備に着手した。

(四)  このようにして組合の抵抗を押し切る形で労働時間一時間延長が実施されたが、会社は昭和五二年九月二〇日労務会議(労務部長が招集する労務担当者の会議)を開き、各職場での実施状況の報告を受けるとともに、今後の組合との対応についても話し合われた。その際、組合が裁判闘争に入りそのことが報道機関に取り上げられれば、金融筋、得意先に会社内の労使間の紛争が知れるところとなり、会社再建に大きな問題となる。そこで会社としては大塚光一、岡田茂生、茂手木秀一、前田邦夫の各専務が組合三役と会談を行い裁判闘争の中止を要請すること、会社の基本的な考え方について四専務による声明文を出すこと、会社員を対象として再建意思の有無を署名活動により問うこと、また全役員が各事業所へ出向き説得にあたること、そしてこれらのことを中間管理職に徹底させることといった諸施策を検討し、これらの諸施策により組合にゆさぶりをかけ組合執行部を壊滅に追い込むといった方針が定められた。会社が同日の労務会議で右のような方針を決定したのは、少なくとも当時の会社経営陣の認識によれば、(1)前述のように、資金ショートによる経営破綻の危機は目前の一一月に迫っており、この難局を乗り切るためには、全従業員が一丸となって会社再建のためにひたむきに取り組むという決意の結果が不可欠である。(2)労働時間一時間延長というのは、過度の優遇を改め、世間並に働くことに過ぎない。従業員のその程度の協力も得られなければ、倒産回避は不可能であり、経営責任者としては、従業員の積極的協力を取り付けるよう最大限の努力をしなければならない。(3)会社再建の最大の障害は、裁判闘争に示された組合の抵抗姿勢であり、経営危機は現実のものでなく、労働者の既得権を奪い、労働条件切下げをねらう会社の宣伝にすぎないとの組合の教宣活動である。(4)しかし、組合の現執行部の右のような活動方針が、大多数の従業員の真意を正当に代表しているとは考えられない。会社倒産による失業の危険が現実のものであることを正しく認識しさえすれば、一般の従業員が再建への積極的協力を惜しむとは考えられない。このことは前年末の越年闘争が、執行部の方針に対する組合員の内部からの批判により不本意な中止に追い込まれたこと、労働時間延長に積極的協力の空気も従業員の間に現実に存在することからも窺われる。(5)したがって、会社経営陣は、裁判闘争の中止と再建協力を組合執行部に重ねて申し入れることとするが、好結果を待つ時間的余裕はないので、全従業員に直接に経営危機の現実を理解してもらうように訴え、再建意思の結集を急ぐため具体的方法として本件署名活動が適当である、ということであった。そして具体的なスケジュールとして昭和五二年九月二一日中間管理職への趣旨徹底、同月二二日朝礼若しくは終礼で岡田専務(東京支店、本社)、大塚専務(大阪工場、大阪支店)、茂手木専務(安城工場、名古屋支店)、前田専務(埼玉工場、技術研究部)が署名運動の趣旨を社員に直接訴える、署名活動は同月二四日から行い二九日に完了することも話し合われた。

会社は、昭和五二年九月二一日会社本社において右四専務と組合三役との間で話合いを行い、席上会社側は裁判闘争は会社の内輪もめを公然化させ、再建に支障をきたすので中止して欲しい旨申し出たが、組合側は一方的に労働時間を延長したのは協定に反するとしてこの申入れを会社の予想どおり拒否した。

会社は右交渉と併行して就業規則、労働契約、再建協定を参考として誓約書の案文を作成する作業をしていたが、右四専務は右交渉の結果を踏まえて誓約書の案文を検討し、当初案文中に記載されていた組合の裁判闘争には参加しない旨の記載はこれを削除し、本件命令「理由」第一、3(3)のとおりの誓約書名簿記載の誓約文となった。

組合は、右同日会社が翌二二日から署名活動を行うことを察知し、各支部組合員に対して署名拒否の指令を出した。これに対し、会社の同年九月二一日付管理者報では、組合の行動を無責任な行為と評価し、裁判闘争を多くの社員が支持しているとは考えられないとして組合の方針に疑問を投げかけ、同月二二日付社内時報では、裁判闘争は会社の方針に対する挑戦とした上で、「本当の気持をあらわして」会社方針に従って全力を尽くす意思を署名という行動で示して欲しいと社員に直接呼びかけた。

3  本件署名活動の実施

こうして、全社的に署名活動が行われたが、安城工場における署名活動については、本件命令「理由」第一、3(1)ないし(7)、(9)のとおりであった。なお、安城工場の管理職の中には組合員を自宅に訪問し、あるいは喫茶店等に呼び出して誓約書名簿への署名を要請したものもあった。

また、大阪工場では本件命令「理由」第一、4(1)ないし(7)のとおり署名活動が実施された。

この間の昭和五二年九月二三日、組合員中島孝之外九名は、会社を被申請人として延長された労働時間一時間につき就労を強制してはならない旨の仮処分を当庁に申請した。

その後会社は全従業員に対し、昭和五二年九月三〇日、本件命令「理由」第一、3(10)のとおりの社内時報を配付し、組合の行っている裁判闘争が会社再建に逆行する旨の意見を表明した。

会社の署名活動は、当初昭和五二年九月二七日まで予定されていたが、その後同年一〇月五日ころまで継続して行われた。

4  本件署名活動後の会社、組合

ところで、会社が昭和五二年一一月に予測していた資金ショートは、会社の旧本社跡地の売却、定期預金の解約、銀行からの融資といった特別対策により約八億八七〇〇万円を調達したことによって、切り抜けた。

他方、署名活動のなされた後の組合内部には、その直後から安城工場における「安工新しい流れをつくる会」など、署名を行った再建協力派組合員による行動が表面化し、執行部は、これらの組合員を「反組合グループ」と呼んで権利停止の措置をとり、これら組合員は、組合を相手どって昭和五三年二月「労働組合の組合員としての地位保全」「組合大会決議の効力停止」の仮処分を申請したが、その組合員数は、当時の組合員の過半数に達するというような組合内の組織的な混乱が生ずるに至った。

以上の経緯から考えると、本件署名活動は、経営危機に直面した会社が社員に再建協力を呼びかけ、その意思確認のために行ったもので、誓約文書も当初予定した「裁判闘争に参加しない」との文言を削除し、抽象的に再建協力を誓うにとどまり、署名実施方法についても特段不当とすべき点は認められないから、その限りにおいては不当とはいえないが、しかし、前述のとおり、時期の点から見ると組合が全員投票にかけた上で裁判闘争の方針を明らかにした直後に行われ、誓約文言も裁判闘争不参加という直接の表現は削除したものの、「企業再建に係る会社諸施策の具体的実施に当たり、誠意を以って対処」することを誓うことが、具体的には当時実施されていた労働時間一時間延長に協力することを意味し、したがって、これに反対の立場を採る組合の構成員に対し、前記社内時報による裁判闘争に対する非難とあいまって、組合決定と反対の立場をとるように働きかけるものであることは明らかであり、現にその直後に署名に協力した組合員と執行部との間に組織問題を生じたこと等の経緯に照らすと、これが同時に組合運営に対する支配介入行為に該当するとの評価を免れることはできず、他に右判断を左右すべき事情を認めるに足りる証拠はない。

以上のとおりであるから、本件命令に原告の主張するような違法はなく、本訴請求は理由がない。

三  よって、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用(参加によって生じた分を含む。)の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九四条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 白石悦穂 裁判官 遠山廣直 裁判官 納谷肇)

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